0から1を生み出すとは・・?

まえがき

「創作とは、0から1を作ること」という言葉、誰が言い出したのかは知らないけども、とにかくいろんな人の口から出てきた記憶がある。ここでは、誰が言ったかということはまったく関係なくて、0から1を作るのかなんて本当にできるのか?という自分がそこそこ長い間抱えてる謎について、自分なりに考えたことをぐだぐだ書いていきたい。

無から有が生まれるということ

「エネルギー保存の法則が~・・」みたいな話をしたいわけではなくて創作活動における話なんですけど、何か創作物を作るとき(一次創作とします)、スタート地点はゼロからなのかな?というのがずっと引っかかってました。

作曲ソフトを起動してプロジェクトファイルを作っただけでは、何の音も鳴らないまっさらな状態で「音楽」がそこにあるとは言えないでしょう。テンプレートをベースに新規ファイルを作ればまっさらな状態そのものではないですけど、「作り上げたもの」というのはそこには無いですよね。同様に絵を書くための画用紙も、原稿を書くための紙も最初は真っ白です。

この真っ白な状態のスタート地点を「ゼロ」と表現するならば、「0から1を作る」とは確かに言える気がする。
だけど、そういうことではない気がする。その真っ白な場のことをわざわざ「ゼロ」と呼んで「0から1を」と言っても、少なくとも自分なら「だからなんだ」って思う。

ここで問題になるのは、実際に創作するクリエイターの側。
目の前には思いのままになんでも書き込める空白のキャンバスが広がっているけど、そこに作品を書き込んでいくクリエイターのほうは、それまでの体験や知識など、いろんなものを背負って作品を作っていく。
何の体験もしたことがない、何の知識も無い、何の情動にも動かされていない何かから創作物が生まれるということを「ゼロから」だとすれば、そんなこと起きるんだろうか。自分なら起きないと考える。

すこし具体的に

とりあえず、ここからは自分が創作として一番やっている「音楽」で考えるけど、絵とか文筆などの他の創作でも大筋当てはまることだとは思う。

音楽を作ろうとしたら、まず音楽が何かわからないと作れないし、音楽じゃないものを作るにしても同じ。
音楽を知らない人が音楽を作れたところで、それが音楽だと自分で認知することは無理。
音楽を知ってるってことは何か音楽を聴いたことがあるし、作りたいということは何らかの理由で音楽を作りたいと思う情動を持ってる。

だから、本当にゼロから創作するというということは無いんじゃないかと思った。

考えすぎだとは思うけど、「0から1を生み出すのが創作」という文脈がどうしても引っかかるものを感じるし、正直にいうと傲慢な言い方だなとも思ってた。なんとなく引っかかる状態で放置しても別にいいけど、どうせなら考えてみようかってことで軽い気持ちで考えてみた。

では創作物はどこから出てくるのか

ここの章は完全に受け売りの話(ただしうろ覚えではある)になります。

自分が生まれてから体験したもの、知ったもの、などなどが自分の中に溜まっていって、闇鍋のような状態になる。
その闇鍋からスプーンですくった一滴のしずく、それが創作物。
そんな話をどこかのPodcastで聞きました。多分「超相対性理論」というPodcastだろうというとこまでは覚えていますが、どの回のどのあたりかまでは覚えておらず…。細かいニュアンスは違うかもしれませんが、大筋では合ってると思います。(もし間違っていたらコメント欄で優しく指摘してください!)

Podcastで偶然聴聞いたこの話が「そうだよ!僕もそう思う!!」と強烈に思ったので、そこから自分なりの考えを足して1つ記事を書いてみました。そして「0から1を作るのが創作だ」という文章については「なんか傲慢だな」と一生思ってると思います。

そして今更だけど、この言葉は自分の中の体感として、非クリエイターの人の口から聞くことのほうが圧倒的に多い気がしてきた。そういう気がするだけ。

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