僕が哲学書を読む理由

2022年の終わりごろから、私は新しい趣味として本を読むことに夢中になりました。その中でも、私が特に多く手に取るのが哲学書です。(ちなみに、小説や漫画はほとんど読んでないです)

哲学に詳しくない僕のような層に向けるいわゆる「入門書」はもちろん読んでいますし、また、哲学者が執筆した本の日本語訳など、いわゆる専門書に分類されるものも手にしています。

校舎は選書が身の丈に合っていないと思いますし、読んだところで自分の頭ではほとんど理解できません。

では、なぜ僕はこれらの哲学書を読むのか。

理屈では説明できないけれど、何かがピンとくる、何かが自分に刺さる経験ができる。そんな感覚が哲学書にはあります。

例えば、ショーペンハウアーの「意志と表象としての世界」は、私にとって非常に衝撃的な本でした。なにか自分も感じていたのではないかと思うような感覚になります。もちろん、それが本当にそうなのかどうかは判断できません。でも、何か感じることが楽しいのです。

これらの哲学書を読んでも直接的な役には立たないし、読んだことで誰かに褒められるわけでもありません。ただ、面白いから、それだけで十分。

2022~2023年読んだ本の中だと、ショーペンハウアーの他には國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」や斎藤環さんの「生き延びるためのラカン」、ボードリヤール「消費社会の神話構造」あたりが自分にとってインパクトの強い本でした。

今年は何を読もうかな、もう少し大人しく身の丈に合った本を選んでもいいかな笑

コメント

タイトルとURLをコピーしました